100年前の本日のレーニン。レーニンは6月10日午前2時にボルシェビキ中央委員会を開いた。ボルシェビキが追求したのは平和的なデモであり蜂起ではなかった。しかし、ソビエト大会のデモ禁止の決議に従わざるをえなかった。レーニンとスヴェルドローフは棄権し、スターリン、ジノーヴィエフ、カーネネフ、ノギーンが賛成してデモ中止を決定した。 ボルシェビキは臨時政府とメンシェビキ、エスエルに敗北したのだろうか?
ソビエト議長団は500人のソビエト大会代議員を派遣してデモ中止の決定を兵営・工場に伝え回り、兵士と労働者を説得した。
500人の慰留班は不眠の夜のあと完全に意気消沈してタヴリーダ宮殿に戻ってきた。彼らは大会の権威は絶対であると信じていたが、不信と敵意の壁にぶつかった。「大衆の中ではボルシェビキが圧倒的に優位である」「メンシェビキやエスエルに対する態度は敵対的である」「『プラウダ』しか信じない」ここかしこで「われわれはお前さんたちの同志ではない」と叫ばれた。代議員たちはデモ中止を勝ち取ったにもかかわらず重大な敗北を喫した事を次々に報告した。