日刊レーニン59号(7月3日?)
2017年7月4日
ソビエト両執行委員会、つまり社会協調派は「一切の示威行動は革命に対する裏切り行為である」という宣言を採択した。メンシェビキは武装デモを口を極めて非難した。「街頭には革命的な人民がいるが、彼らは反革命的な活動に従事している […]
日刊レーニン58号(7月3日?)
2017年7月3日
100 年前の本日。朝、機関銃兵第1連隊は連隊総会を開いた。街頭行動が協議され、総会議長のボルシェビキのゴローヴィンは行動を延期しようとしたが、兵士をいらだたせるだけだった。そこにブレイフマン […]
日刊レーニン57号(7月2日)
2017年7月3日
100年前の本日。臨時政府のカデット4閣僚が辞任した。ウクライナ中央ラーダ総書記局(ウクライナの事実上の自治政府)に大幅に譲歩した協定を閣議で承認したことへの反発だ。真の理由はチェルノーフなどの協調主義者が大衆を抑え込む […]
日刊レーニン56号(6月29日)
2017年6月29日
100年前の本日のレーニン。レーニンは、全ロシア・ソビエト第1回会議(6月3?24日)の激闘を闘い抜いて体調を崩した。レーニンはフィンランドの別荘に移って休養をとる。レーニンはいつもそうだ。党大会や重要な会議の後は、張り […]
日刊レーニン55号(6月27日)
2017年6月27日
100年前の本日のレーニン。本日のレーニンは、『プラウダ』に「階級的変動」「革命的エネルギーの奇跡」を掲載した。 18日とデモと夏期攻勢後、首都の情勢は再び緊迫し、労働者・兵士は武装して街頭へ出ようという機運を高めていた […]
日刊レーニン54号(6月22日)
2017年6月22日
100年前の本日のレーニン。レーニンは「エスエルとメンシェビキは革命をどこへ導いたか?」を『プラウダ』に掲載した。「彼らは、革命を、帝国主義の従属へ導いた」「大衆は自分自身の経験で学びとるであろう」と、レーニンは18日の […]
