35全総を前後する革共同政治局・全国委員による女性差別襲撃への弾劾声明

35全総を前後する革共同政治局・全国委員による女性差別襲撃への弾劾声明

矢嶋 尋
全学連委員長
マルクス主義学生同盟・中核派/革共同中央学生組織委員
革共同全国委員/革共同中央女性解放組織委員

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はじめに、今回の件についての声明発表が、大幅に遅くなったことを、心ある革共同の同志や共闘団体各位、支援してくださっている皆さんにお詫び申し上げます。この間、学生の仲間たちに対する党からの暴力的襲撃が続発し、生活手段・活動手段の大部分が革共同本部・前進社に奪われた中で、2024年12月京大集会を理由とした2学生への逮捕弾圧への救援活動および全学連定期大会を闘ってきました。とりわけ私たちを支持し共に闘うことを決意してくれた方々との丁寧な内部的な討論には時間が必要でした。やっと今日、国家権力からの防衛上の問題も検討した上で、今回の声明を発表することができる所まできました。

革共同第35回全国委員会総会(以下「35全総」)に関連して「石田による私党化と党破壊」などと革共同政治局が表現している事態の一連の流れを概略的に述べます。今年7月、私は夫である石田真弓の政治と生活の両面における女性差別的ふるまいを批判する文書を本人および信頼できる同志数名に提出しました。以降、約1カ月半にわたって討論の場を組織的な確認の下に複数回もち、9月初週の段階で、石田の転換は私として承認できる所まで進んできました。しかし、この最終過程で政治局が強権的に介入し、重大な問題が発生しました。

それは、
①政治局会議(8月31日)における私の完全な頭越しでの石田処分の決定
②政治局による石田自己批判討論の破壊
③私と石田が書いていた文書のごく一部のみを私に無断で大量配布・拡散することによる印象操作=「石田の悪魔化」工作
④これらに抗議した私に対する、「[石田]*問題をめぐる討議」と称して数時間にわたる恫喝・女性差別暴言を浴びせ屈服を迫る「会議」の開催(9月4日)
⑤私の絶対反対の意思を完全に無視する形で35全総にて「石田の女性差別問題」を明らかにし処分決定するという旨の一方的通知
⑥35全総当日(9月6日)、私および共に闘った学生の仲間たちに対する女性差別的・暴力的襲撃と前進社からの即日の実力行使での全員叩き出し
⑦9.11革共同政治局声明による私たち学生有志の蜂起の捻じ曲げと自らの女性差別行為・組織規律破壊の隠蔽
⑧私を含む蜂起に賛同した学生の仲間たちへの追撃的暴力襲撃・分断工作、党内外問わず現在も継続する情報拡散による私への二次加害の拡大
・・・というものでした。

以上のような、筆舌に尽くし難い女性差別行為、組織規律違反・組織破壊、暴力的襲撃等々の階級犯罪が、35全総を前後して革共同政治局および全国委員らによって極めて凶暴に展開されました。私たちは、このような階級犯罪に手を染めた現政治局員を絶対に許さず、全政治局員の自己批判と謝罪を改めて求めます。

冒頭に明確にしたいのは、今回の蜂起の「首謀者」が矢嶋尋であるということです。政治局は「石田一派」などと表現していますが、学生同志が政治局を糾弾する連名文書に名を連ねて蜂起したのは、政治局による私に対する女性差別襲撃に対して、ともに抗議してほしいという私の要請に応えてくれたものです。

9月11日付でインターネット上に公開された政治局声明(以下、9.11政治局声明)は(この筆者は明らかに書記長・秋月です)、<「動揺」した告発者=私を、石田が取り込み、前面に立たせた>と描き出しています。公安警察や右翼が、「女性全学連委員長は神輿/張りぼて/傀儡/看板/客寄せパンダ」と言っていることと何も変わらない、蔑視に染まり切った女性観を自己暴露するものです。そのような腐りきった思想を持った人間が政治局の中枢であることこそ今回の女性差別事件を引き起こした核心的原因の一つであることを冒頭で断罪します。

以下、事態のあらましを事実に基づいて明らかにします。組織内情の暴露を多分に含むことは承知の上、事実が隠蔽されたままでは正義を明らかにすることはできないという決断の下での声明であることをご理解ください。あわせて政治局によるでたらめな情報拡散によって、私が実名でこのような声明発表・私生活の公表をせざるを得ない状況が作り出されたことも強く非難します。

*注)実際上は組織名である部分は[(本名)]の形で記載しています。

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私と石田は、2021年から交際関係にあり、生活上・行政上の理由から2024年には入籍もしています。このことは党内外問わず周辺の人々には隠していませんでしたが、右翼などに攻撃材料を与えたくないためSNS等での公表はしていませんでした。平板で俗な言い方をすると、この4年半は楽しいことも苦しいことも多くありました。私と石田の双方が「党の顔」あるいは「指導部」として重責と任務を担う多忙のなかで、休日をとって出掛けるどころか団らんの時間も取れないような「無家族状態」に苦悩しながらも、関係の維持に最大限の努力をしてきたつもりです。このような客観的状態に規定されて、私が石田に対して怒りや不信を激しく持ち衝突することも多々ありましたが、基本的に彼は最も自分を支えてきてくれた、信頼する同志でした。

今年の7月中旬、私は夫への批判を通して、個人にあらわれた組織・運動内における女性差別的なあり方の変革を迫る問題提起を行ないました。具体的には、家庭領域を「忙しいから仕方ない」という論理でないがしろにしてきたことへの怒り、17年前の女性との関係(女性側の離婚が成立していない段階での交際)を第三者から聞いて知ったことへの怒り、このようなあり方を生み出し再生産し続けてきた組織に対する怒りです。さらに、「グルーミング」や「性的同意」の概念と実態を学ぶ中で湧き上がった問題意識がありました。それはこの社会で生きる限り、恋愛/夫婦関係に〈性暴力〉性がはらまれることから逃れられないことについて、私たちがいかに考えるべきかを問うものでもありました。

なおSNS上のみならず党内でも流言飛語が飛び交っているようなので断っておかなければなりませんが、拒絶の意思表示を無視した文字通りの暴力的・強制的「性暴力」や、私との関係が始まって以降の時期に不倫をされたという事実はなく、石田に対する糾弾の中でもそのように「被害」を主張したことはありません。

私からの問題提起以来1カ月半にわたって、政治局員N、学生指導部2名、東京都委員会の女性同志Mを交えて討議を継続し、その間、私の要請に関係者が応じる形で石田の活動を自己批判に専念させるよう取り計らってもらいました。そのような中で私個人としては彼の転換・変革を「承認」できるところまで到達してきていました。そこで9月中旬に予定していた全学連大会以降に、議論してきた内容をより広い範囲の仲間たちに共有して討議に付すことを8月中旬には私から提案し、誰からも異論は出されていませんでした。

しかし8月21日の学生指導部会議で、問題の概要について初めて広く共有した際の石田の言動が「軽い」ものに感じ、センシティブな問題であるだけに学生の同志たちがどのように捉えたのか、不安になり動揺状態に陥りました。また、詳細な説明は割愛しますが、その日の夜に別の学生同志が書いた文書を読んだ際に、その内容が私の不安とリンクして動揺状態が加速し、翌日の深夜に自殺を仄めかすメッセージを前述の学生指導部2名に送りました。彼らから連絡を受け女性同志Mと女性労働者同志Rが即座に駆け付けてくれたのですが、それによって「駆け付けてくれなかった」男性同志への不信が相対的に強化されてしまいました。石田も駆け付けようとしたが、女性労働者同志Rに「来るな」と言われて阻止されたことは後で聞きました。この過程で、女性同志Mを通じて政治局員HSが石田や政治局員Nについて語った話を聞いて、石田に対する不信感が増幅させられた状態で、女性同志Mと女性労働者同志Rの強い意向によって政治局員HS、TYらを介入させる形となって8月28日に会合が設定されました。この時に提出した、石田との家族関係を箇条書き的に極端に悪く描いた短い文書が、石田の「罪状」の根拠として利用されることになってしまいました。

そしてわずか3日後の8月31日に政治局は、「8/28[矢嶋]同志からの[石田]同志の性暴力の告発は、[石田]同志自身も認めている。[石田]同志の[矢嶋]同志への行為は重大な階級犯罪である」「[矢嶋]同志への4年以上ものおぞましい性暴力、女性差別」とする「8.31政治局決定」を行いました。そして、翌週に控えた35全総において、その決定を全党に知らしめ決議するべく動き始めました。この一連の決定について、当該である私には何の報告・連絡・相談もありませんでした。

その日の夜、政治局による石田に対する「事情聴取」が行なわれ、そこには私も同席しました。この場でも政治局への不信感は決定的に強まりました。政治局員HSが石田に対して「8/28文書に書いてあることは事実なのか」と問い、石田が「箇条書き的な記述なので詳細を確認する必要はありますが、基本的には認める立場です」と主体的受け止めの立場を表明したことを確認したくらいで、それ以上の「事実確認」はほとんどなかったのです。そもそも私が石田に求めてきたことは、石田自身の私に対する女性差別的ふるまいを認めることが出発点であり、様々な背景事情などは後から議論の対象とすべきだとして討議してきたので、石田がそのように回答するのは当然のことでした。石田がその場に持参した自己批判文の冒頭にあたるごく簡単なメモも同様の立場を表明した内容ですが、このメモも私が8月28日の会合で提出した文書とセットで「自供した証拠」としてばらまかれたようです。

さらに政治局員TYが石田に対して無内容な批判をした挙句に、石田がメモの中で書いていた、女性解放闘争に関心があれば誰でも知っているような「名誉男性」という用語にひっかかり、「これはどういう意味だ」と質問してくるなど、その水準の低さを露呈させました。しかも、その用語は既に1カ月前に提出されていた石田の最初の自己批判文の中にも出てきていたものであって、それすら読んでいないことがよくわかりました。要するに、この問題についてロクな内容的議論も検討もしていない政治局の実態が、会合の場で次々と露呈させられていったのでした。

政治局員と直接に話す機会を持つ中で、その権威主義的・外在的・非主体的な「責任」の取り方のおかしさに不信感を抱いていた私は、9月2日に政治局に対して「この件の扱いを任せられない」という文書に理由を添えて提出しました。それは政治局内で「性暴力」や「階級犯罪」の内容についての議論がろくに行なわれていないことが、「8.31政治局決定」に至る議論の過程や内容を問うても政治局員の誰もが言葉に詰まって一切答えることもできないことで明らかとなり、「矢嶋が〈性暴力〉と表現した、石田もそれを認めた」という確認のみで「8.31政治局決定」を35全総の既定方針として進めようとするあり方に対する不信感の表明と抗議でした。すると9月3日には、 政治局総体が外在的態度を貫く中で、唯一主体的にかかわってきてくれ、9月2日の私の文書も支持してくれた政治局員Nを、複数名の政治局員で取り囲んで石田に擁護的な立場であると糾弾し、私と石田に接触することを禁止する措置が取られました。そのことは、私が政治局員Nに話しかけたことで、その日の内に知ることになりました。

さらに政治局は、9月4日に予定していた石田本人との自己批判の討議の場を中止とすることを、前日になって一方的に私に対して通達しました。この自己批判討議の場は8月31日の会合の際に、1カ月半に渡る石田自己批判に最後的に承認を与えて区切りとする場にできる段階に来たことをもって、私が設定を希望したものでした。そこでの議論に踏まえて35全総での石田の扱いも相談・検討して定めたいということも明確に確認していたのです。これを中止して替わりに開かれたのが、政治局の方針に反対する私を石田と政治局員Nを排除した上に10名近くで取り囲み、数時間に渡って女性差別的言辞を浴びせながら恫喝・揶揄し、屈服を迫る「会議」だったのです。かつて、書記長・秋月が中四国地方委員会で性暴力告発者に「組織破壊者」いうレッテルを張って「絞殺」・圧殺してきたことが34全総で決定的な問題となり、書記長という立場から党として自己批判したにもかかわらず、その舌の根も乾かぬ内に「被害を訴えるな」という形から「理想の被害者として振る舞え」という形に変えて、自己批判したはずの事態とほぼ同じことが再演されたのです。その場で私は「当該である私との議論も総括での一致もない内容で、一方的に8.31政治局決定を35全総決定とされて全党に周知されること、しかもそうなれば、それを私が自ら党の会議の主催側として学生の同志に話さなければならなくなることがどれだけ破壊的か分かっているのか」「8.31政治局決定は数カ月から数年の苦闘の末に、石田の転換を進めてきた私の苦闘の地平を簒奪するものであり、無に帰すものであり、泥をかぶせるものだ。こんなものを出されたら、私は潰れてしまう」と何度も繰り返し訴えました。

その直後に、この問題を扱うために臨時で開催された政治局の会議にも単身で乗り込んで「こんなものが出されるなら私は当日決起するしかない、それがどういう結果をもたらすのかわかっているのか。その責任をあなたたちは取らなければならない」と予告までしましたが、政治局は「8.31政治局決定は撤回しない」という態度を固持しました。政治局員HSは「では告発は嘘だったのか」「言いたいことがあるなら言えばいい、35全総の場で」と吐きつけました。私はこれまでの党生活の中で、私が石田を糾弾した中身と重なる、それ以上の女性差別的行為を政治局員の多くもまた犯してきたことを知っていたため、「お前たちの脛も傷だらけだろう」と指摘したら、政治局員FRは「何十年もやってるんだから当たり前」と開き直りました。この過程で秋月は「矢嶋は石田にマインドコントロールされている」と言っていることも聞きました。このような水準の政治局に、石田に「自己批判」させることができないことは私の中で明白となりました。

これを前後する過程で、政治局員HS、信頼していた女性同志M、Rらが先頭に立って、様々な党機関の会議の場(わざわざ臨時で開催されたものもあったという)や個人に対して、私が顔も名前も知らないような人たちを含め、わかっているだけで少なくとも数十人へと私の書いた文書が無断でばらまかれ、印象操作に利用されていたことも発覚しました。家庭内の性的な関係も含む事象を信頼できる人物に限って共有・相談するために託した私の文書のごく一部、その中でも最も悪い表現で石田を描いた部分ばかりです。これ以外に、どこで誰にどの文書が拡散されているのかを問い質しても政治局は全く明らかにしませんでした。事態は現在進行形で、既に関連文書は明らかに党員ではない人物の手にも渡り、ネット上に拡散され、私の本人特定がなされる状況まで確認されています。

センシティブな内容の無断での暴露、「矢嶋さんの本心はこうだ」という決めつけに基づく対応など、これ自体が典型的な「二次加害」そのものであり、女性差別への無知・無理解・低水準をさらけ出すものです。政治局の男性たちとは少し異なり、女性であるMとRは「女性差別と闘っている」という意識で私の文書をばらまいたのだと思いますが、まさに「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉通りです。二人は私の怒りに共感や支持はしてくれたものの、私の問題提起した内容について思想的・路線的に深め整理するような議論が彼女たちからなされることはついぞなく、関西でのOZによる女性差別事件との粗雑なアナロジーでもって、最終的には私を「政治局決定に従え」と恫喝・非難する立場にまで転落しました。9月4日と35全総当日、女性同志Rは私に対して「あなたは私たちを裏切った!」と強く非難しましたが、信頼して渡した文書を無断でばらまかれるという裏切り(=個人に対する裏切りというだけではなく、党への信頼を徹底的に破壊する裏切り)を先に行ったのは政治局と女性同志MおよびRです。

このような運動の中では、女性たちは二度と女性差別を告発することはできないし、仲間を信頼して闘うこともできません。

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9月4日夜の臨時政治局会議を経て5日未明、35全総での「8.31政治局決定」の全党への公開の強行が翌日に迫る中で、私は、このような腐り切った政治局―党のあり方を絶対に許さず、石田の自己批判の貫徹と同時に女性差別との闘いの前進、家族問題の解決のため、運動・組織とそこに所属する個々人としての自己批判・自己変革を、自らの責任のもとでやり抜くことを決意しました。そのために政治局の誤った対応を批判する私個人名義の文書と現政治局を徹底糾弾する連名文書の作成を開始しました。起きている一連の事態を初めて聞く仲間も多数を占める中で、事情を説明することのできた中央学生組織委員会の約20名全員が、わずか一日にして連名に応えてくれたことで当日の蜂起が実現したのです。

35全総当日は、これまでの過程の“頂点”として、私および学生の仲間に対して数限りない罵倒・嘲笑が浴びせられました。政治局員FRは政治局による情報拡散を弾劾する学生に対して「お前らはフェミニストか」と「罵倒(!)」しました。秋月は「(我々は)青年・学生・女性を組織する! フェミニズム界隈をちょろっとちょろまかそうって話じゃないよ」と、この数年間で私たちの女性解放の闘いに共感して運動に加わってきた女性同志の存在を侮辱しました。「マインドコントロール」発言に対して学生が抗議すると、しどろもどろになりながら「どこが差別発言だ!言葉のアヤで言っただけだ!」と天皇ヒロヒト並みの答弁を返しました。

私が議運から発言を認められて壇上に上がり、この声明で述べてきたことと同様の内容を述べると、会場からは「石田擁護やめろ」などと罵倒のヤジ、嘲笑、大きな溜息の合唱が起こりました。そして発言の終盤で政治局員それぞれがこの数日で行なった女性差別的襲撃に対する糾弾を開始した途端に、全国委員と傍聴者たちは最も激しいヤジ・罵声を飛ばし、女性同志Rの暴走を契機に参加者が一斉に私に掴み掛かり、マイクの電源を切り、暴力的に壇上から私を引きずりおろしました。自らも党内で女性差別・性暴力を受けてきた女性同志先頭に排除が行われ、政治局の男連中がニヤニヤしながらそれを眺めているというグロテスクな光景こそ、35全総の現場で私が見たものでした。身を挺して私を守ろうとしてくれた学生の全国委員・傍聴参加の同志全員を、政治局の擁護者たちは敵権力・機動隊に対する以上の敵意をもって暴力的に排除しました。政治局が恣意的に切り取った情報のみを数日前から当日に聞いただけで鵜呑みにして、ほんの1カ月前には一緒に8.6広島を闘った学生の腹に蹴りを入れることができるとは、一体「マインドコントロール」されているのはどちらなのか。その勢いのままに彼らは当日の内に私たちを着の身着のままで前進社から叩き出す所まで実行しました。私も含む若い世代の仲間たちは「カクマル」を実体験した感覚になったと口々に語っています。

(3)

ここに示されたことは、帝国主義の最末期的な危機のもとで戦争情勢・内乱情勢が成熟し、革命と反革命の分岐が一瞬にして峻厳に問われる時代に突入しているということです。私たちの9.6蜂起は、革共同政治局が、帝国主義が生み出す差別イデオロギーに深く屈服し、差別と対決する闘いの峻厳さから身をそらしてきた現実を暴露しました。彼らは「組織規律」を騙って、この数年来の反戦闘争およびそれと一体で推し進められてきた女性解放闘争に対して真正面から敵対する、最悪の差別者集団へとなり果てたのです。

この間、多くの青年・学生・女性が陸続と反戦運動に加わる中で、私たちの組織・運動が、この社会に蔓延する差別・排外主義、とりわけ女性差別の現実と闘うことができるのか否かということが、とりわけ若い仲間との関係で死活的に問われてきました。私自身のことを振り返ると、マルクス主義学生同盟と出会った2020年当時は、2019年に全学連の中心的活動家から女子学生が「ゼロ化」した過程であり、首都圏では私が一人目の女性メンバーとして結集しました。そこで「今の党に足りない部分は私がつくろう」と決意し、意識的な理論と実践の取り組みの中で、一人、また一人と女子学生、セクシュアルマイノリティ当該が運動に加わり、反戦運動の発展と一体で女性解放闘争の深化を勝ち取ってきたのです。とりわけ昨年4月には、全学連の松本彩乃さんがデモ飛び入り参加者から性暴力を受ける事件が発生し、このことへの当該の決起と総括を通して「運動内の女性差別との闘い」の実践的取り組みが一段と飛躍しました。この4.28性暴力事件については、告発者自身の問題提起によって学生の仲間の内部で3カ月にわたって組織的な討議を尽くしたうえで、半年をかけて党と関係諸団体に共有し、事件から1年後にインターネット上に公開しました。「いったい中央SOB[学生組織委員会]自身が昨年提起した『4.28総括』…中略…を通して、激しく討議し、書記長をはじめ政治局、全国委員会全体で徹底的に自己批判し、総括したことは何だったのか!」(9.11政治局声明)というのは、こちらのセリフです。秋月が何を思って言っているのかは全く不明ですが、いずれにせよ当該女性を防衛・尊重しながら組織的教訓・綱領的深化を勝ち取ってきた女性解放闘争における苦闘を何ら理解してこなかったことを自己暴露するものでしかありません。

7月の私の石田への批判は、全国委員や政治局員の男性を含め党の中で未だに横行・再生産されている女性差別の現実を告発し、党全体への変革を迫るものでした。私の提起は夫個人に対してだけではなく組織全体のあり方に対する批判でもありました。しかし、政治局とその追従者は、政治局員である石田の問題が、政治局総体ひいては党全体の問題としてあることから身をそらし、個人の悪魔化と処断によって組織全体-自分たち自身の変革を拒否し保身に走りました。「差別者である石田を処断した政治局」として党全体・階級の前に登場することが極めて政治的な意図をもって35全総の「既定方針」とされました。

石田が女性差別という次元において「反革命」で「除名」とされるならば、一体何人の政治局員・全国委員(の特に男性)が反革命で除名されるべきなのか。象徴的ですが、私よりも党の実態を知っている女性同志Mは、つい先月も私に「全国委員の9割は女性差別者なのに、一番今の党をつくってきた尋ちゃんが全国委員入りしていなかったのはおかしい」と言いました。今回具体的に例を挙げることは控えますが、単に「告発」されていないだけで、より深刻な「女性差別・性暴力」が党内にも無数に発生してきていたことを指摘しないわけにはいきません。政治局・全国委員会の面々が石田に向けている怒りと暴力性を少しでも自身に向けたなら、政治局も全国委員会も自己崩壊する以外にない有様ではないのか。私が変えたかったのはこのような党の現実です。

7月に石田を批判した文書のむすびとして記述したこと――「このレポートでは全体を通して、[石田]に対する不信・不満・批判を書き連ねているが、[石田]個人の問題ではなく、運動・組織が飛躍していく中で党の指導のあり方そのものが壁にぶつかっているものとして捉えている」「発生してくる組織問題に対して常に思想的にえぐり出して総括できるところまでやってきたのではなく、問題が爆発するまでの見て見ぬふり、解決不能なことは矛盾を集中できる人格に集中させて抑え込む、そういう経験主義的でしかない政治によってきわめて大きな矛盾を残しながら進んできていて、その矛盾が今さまざまな形で噴き出している」――これが私の問題提起の核心です。

(4)

9.11政治局声明の「革命的女性解放闘争とは、性暴力の階級犯罪性について『原理・原則と具体的な事象の評価について詳細に述べる』ことに熱中したり…定義づけしたりすることではまったくない」という記述は、女性解放闘争への無知・無理解への居直り=敵対であり、それは学生の仲間たちが切り開いてきた地平の全否定でもあります。あらゆる事象をアナロジーで語り、十把一絡げに同じ「性暴力」として断罪する、このような個別具体性の捨象から女性解放闘争の敗北は生まれるのです。政治局とその追従者は口々に、「〇〇と同じだ」と、一連の過程で発生してくる事象を、過去に党内で起きた様々な女性差別事件と粗雑に重ね合わせて「理解」することで「理想の加害者像」を描き出し(=石田の悪魔化)、これに対応する「理想の被害者像」から外れた言動をとる私への「二次加害」を行なっています。おそらく、「〇〇と同じ」ということを禁止ワードにしたら、女性差別について語る内容もないのではないでしょうか?

34全総を前後する過程で、OZの問題を「知った当初は女性差別問題ではなく、恋愛問題として捉えてしまった」という言葉が多くの同志の口から反省の弁として発せられましたが、私はこのような「差別か、恋愛か」という単純化は非常に危険であると危惧してきました。それは、ありふれている男女の「痴話喧嘩」や「恋愛問題」が、階級社会や女性差別の現実と深く関わっていることを捨象するものにしかならないためです。果たしてこの社会で、女性差別と無縁でいられる「恋愛」関係がありえるのか。そんなものは観念の世界にしか存在しません。私有財産制のもとで女性差別制度・イデオロギーは数千年にわたって常に膨大な物質力をもって私達の中に体質化されています。だからこそ、日常不断の点検と差別との全生活・全人格をかけた闘いの死活性があるのです。「女性差別か、恋愛か」という切り離し・単純化をした途端に、差別との闘いは日常的実践から切り離されるのです。故・中野洋動労千葉顧問が語っていたように、戦争の時代には差別・排外主義との闘いは「自分は差別・排外主義者ではない」「自分は差別・排外主義と闘っている」と自己確認するだけの運動では、膨大な労働者の層がそれに取り込まれたときに敗北するしかないのです。

この階級社会の現実の中で、人間的家族関係が破壊されながら営まれざるを得ないことを、共産主義者としていかに捉え、組織や運動の中で位置付け、突破していくのか。――次々と新たな女性同志がマルクス主義学生同盟に加盟し、彼女たちに向き合う中で、このことが自分だけの問題ではなくなっていったこともまた、7月の「告発」=普遍的女性差別の現実の言語化に至る重要な契機としてありました。

OZのように連れ合いと子供がいながら複数人の女性と関係を持ち、女性の意思を明らかに踏みにじる性暴力までやったような人格を直ちに処断するべきであることは自明の事柄ですが、果たしてOZと石田の女性差別性は同じ程度でしょうか。私もまた自らの苦しみを表現するために、OZとのアナロジーで語ったことがありますが、これは極端に単純化したものです。私に家族関係を〈性暴力〉と一時思わせるほどの不信を持たせるまでの「無家族状態」を強制してきた石田と組織全体の犯罪性は深刻であると今でも認めています。だからこそ私は、階級社会で生きる限り逃れられない家族関係の〈性暴力〉性を問うものとして問題提起を行なったのです。

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9.11政治局声明は、革共同政治局とその擁護者が、労働者階級の差別に対する現実の闘いと怒りとは相容れない存在へと転落してしまったことを、この上なく示しています。26全総で我が党が自己批判したことを再確認しなければなりません。

職場での資本との現実的攻防、階級闘争実践から身を避けた党は、資本・権力と闘えない党となり、政治闘争、さらに理論闘争においても後退と歪みを生みだすことになりました。そしてその現実をますます、マルクス主義から逸脱・背反した観念的空論・空語でごまかしていくことになっていったのです。その結果は、①資本・権力と闘うことによってのみ生まれる「共産主義者としての自覚」、②階級闘争の実践によってこそ養われる「大衆と結びつく政治能力」、③大衆によって検証される「正しい理論」という、レーニンがあげた〈革命党の規律を保障する三つの条件〉の喪失でした。

『革共同第26回全国委員会総会報告』

まさに9.11政治局声明は「理論闘争における後退と歪み」「マルクス主義から逸脱した観念的空論・空語」の繰り返しです。「プロレタリア暴力革命・共産主義の実現と結びつかない女性解放は、『ラジカル・フェミニズム』と言おうが『マルクス主義フェミニズム』と言おうが、実はまったくのインチキである」「女性解放とは共産主義の実現以外にないのだ」という節は象徴的です。もちろん、結論的に言えば私有財産制の廃止なくして女性解放はありえません。しかし数カ月前に自己批判の中で「女性解放闘争に対する無知・無理解=敵対」という状態にあったことを確認した人間である秋月が、女性解放の具体的実践が「階級的核心的真実を自然発生的に立ち上がっている無数の女性たちに断固として言い切って」いくことだと偉そうに主張するというのは、あまりにも滑稽であり傲慢です。

よくある例ですが、革命的に物を考えはするが頭脳の混乱しがちな人は、「名案が浮かんでこない時にはいつでも」公式を引き合いに出してくる。それは要するに考慮を払わねばならない厳しゅくな事実に目をそむけるときに起こるのです。

『レーニン青年婦人論』

政治局や全国委員の諸同志は、「水準が低い」という私の批判に対して、「労働者蔑視だ」とか「労働者を舐めるな」と激甚に反応して噛みついてきますが、私はインテリぶって知識マウントをしようとしているのではありません。そうではなく女性大衆からすれば「こんな水準の人たち/組織は信用できない」と思われて当然のことなのであり、政治局員・全国委員という革命党の中枢を担う共産主義者でありながら、大衆に一切通用しない「水準」であることを私は問題にしているのです。女性たちが闘いのなかで紡いできたものをまずはいったん学ぼうとする革共同がこれまで土台に置いてきたはずの態度の欠落、そしてマルクス主義者として常に思想「水準」の更新をしようとする態度の欠落が問題になっているのです。これを「労働者蔑視」などと非難するのは、共産主義者の党の一員の取るべき態度として間違っているだけではなく、「労働者には理論闘争ができない/やらなくてもいい」という労働者蔑視の思想をあらわにするものです。これもまた旧関西指導部への批判と重なることです。34全総で批判の対象となったことは「石田反革命」の前に既に忘却されてしまったのでしょうか。

政治局は自らの権威の維持と保身のために、35全総から一日経つかどうかのうちにYouTubeアカウント「前進チャンネル」を削除しスターリン主義的歴史修正を開始しています。「学生に学ぼう!」と号令をかけて反戦闘争や女性解放闘争を推進しようとしていたことも清算していくでしょう。今後、『前進』上で「石田一派」への誹謗中傷を繰り返し、石田の悪魔化による内部の結束の維持、全世界へ向けたデマの流布や私に対する二次加害を重ねていくことが予想されますが、私はそのことも覚悟の上で今回の文書の公開に至っています。9.11政治局声明は、私の存在と数年間の闘いを侮辱し毀損するものであり、私はかならず生き続けて政治局による攻撃の全てを粉々に打ち砕きながら革命に向かって進んでいく決意です。私のことを「動揺して加害者に取り込まれた被害者」として描き出そうとすればするほど女性たちをはじめとする労働者民衆の信頼を失っていく根拠を、私の主体的な闘いでもって生み出し続けます。

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ここまで述べてきたことで、私たちの蜂起の「首謀者」が私であり、女性差別との闘いという点でも党内規律・党内民主主義の観点からも9.6蜂起が正当であることは明確になり、政治局の描く「石田の自己保身のための蜂起・私党化策動」などという主張が、いかにデタラメで「おとぎ話のように単純」な作文であるかということはハッキリしたと思います。9.6蜂起の組織化は、直前の政治局による私に対する女性差別事件の発生と、その隠蔽のための党内組織化策動に対抗するための措置でした。この際、もちろん連名者は除名等の重処分を受けることもありうるという覚悟を共有しました。他方で、「組織指導系列の濫用」や「私党化策動」などという誹謗から被指導部を防衛するために中央学生組織委員ではないマル学同の仲間たちには基本的に前進社から叩き出されるまでは事情を伝えていませんでした。したがって、状況を引き受け得ると判断できた活動歴の長い一人を除いて、中央学生組織委員ではないメンバーは連名には加わっていません。しかしそんなことはおかまいなしに、政治局とその追従者は「お前らは全員もう革共同じゃない!」などと叫びながら、事情を全く知らずに前進社にいたマル学同の学生も含めて暴力的に叩き出したのです。EL5問題すら発生から決別まで1年余の時間を要したわけですが、一体、どうすれば今回のような非同志的・非民主主義的な党運営ができるのか。私たちは最後まで党の同志たちを信じようとしたし、政治局が自らの女性差別を自己批判すると態度表明さえしてくれれば、「再団結」も全くあり得たと思いますが、党の腐敗は私たちが考えていたより遥かに深刻でした。

石田の「自己批判」について、私個人に対するものは承認できる段階にまで達していたと前述しましたが、34全総を提起し推進した政治局員としての党や階級に対する自己批判としては未だ不徹底であることをはっきりと認めます。一連の事態を受けて、当初の予定からは大きく逸脱して、私の糾弾と石田の自己批判の全体像の総括が不十分な状態のままに、私の石田に対する生の批判文書を初めて読んだ(読ませざるを得なかった)同志たちは、それ自体にも大きなショックを受け、石田による女性差別、党の中に横行してきた女性差別、そしてそのような現実を容認してきた自分自身に怒りを燃やしています。また、事態の激烈な展開と状況の変化が生み出された現在、その責任も含めた自己批判が、共に闘う仲間を核心として労働者階級全体との関係で画次元的に求められる状況になりました。それ抜きには石田が従来通り中央学生組織委員会議長然としてふるまうことなど、私を含め誰一人容認する仲間はいないことは、この2週間ほどで繰り返し強烈に確認されています。石田に根底的自己批判をさせる責任を、私たち自身が担い、階級に対する自己批判を遠からず明らかにさせることを約束します。

※なお、今回の声明発表に対しても、政治局とその追従者たちから「矢嶋を矢面に立たせて後ろに隠れる石田は卑怯者だ」という声が飛んでくることが予想されますが、彼の自己批判が一定の段階に達してから語らせることが適切であるというのが学生戦線指導部の共通見解です。また彼が全学連大会の場にいたことについての批判もなされていますが、大会前日に広島の党員による広島大支部の学生への襲撃事件があり、石田を単独行動させることは生死に関わる危険があると判断して討議したうえでのことです。

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米日による中国侵略戦争=世界戦争が目の前で開始され、巨万のアジア人民が虐殺されようとしています。そこに向かって外国人や女性、「障害者」への差別が激しく煽られています。そうした情勢の中で、「中国侵略戦争阻止」を掲げて反戦闘争を組織してきた唯一の党派であった革共同が、頭から差別に屈服し、差別と闘うことができない党=帝国主義の戦争攻撃と対決できない党へと変質しつつあることは、日本階級闘争に巨大な危機をもたらすものです。革共同の心ある党員の皆さんに対しては、このような腐りきった政治局の徹底的打倒に共に立つことを強く呼びかけます。

私たちはいかに困難な中にあっても、「連帯し、侵略を内乱へ」を貫く、中国侵略戦争阻止・日帝打倒の反戦闘争を新たに作り出し、青年・学生・女性の力を解き放つ結集軸となる大衆運動党を生みだすことを決意しています。すべての労働者、学生、市民の皆さん、マルクス主義学生同盟ならびに全学連の旗もと、10・7パレスチナ蜂起2年新宿反戦デモに結集しよう。そして革命党の再建へ、絶大な支援およびカンパをお願いします。

9.6蜂起に加わった学生の同志、そして直後に事態を知った学生・労働者同志は固くスクラムを組み、決して革命を投げ捨てようとはしていません。9.11政治局声明を読んだ多くの労働者党員・支持者からも疑問や怒りの声が噴出し、私たちの隊列に加わりたいという表明が寄せられ、9.6蜂起の正義性は日に日に明らかになっています。政治局とその追従者たちの徹底的な自己批判と転換がない限り、革共同は全学連ならびにマルクス主義学生同盟を永久に失陥することを最後の警告として、声明の結びとします。

以上

↓文中に登場する「9.11政治局声明」

石田による私党化と党破壊を粉砕 女性解放闘争と反戦闘争の爆発へ – ZNN.JP

第35回革共同全国委員会総会を開催 革命的共産主義者同盟政治局  9月初め、革命的共産主義者同盟は第35回全国…

行動方針

10・7パレスチナ蜂起2年新宿反戦デモ
日時:10月7日(火)午後6時~ アピール開始
場所:新宿駅東口 駅前広場
主催:全日本学生自治会総連合

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三井住友銀行 浦安支店 普通 7243469
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